序  馨君句集刊行おめでとう!  昨年暮れに句集を出すから「序」を私に書いて欲しいと言われた時は吃驚と、息子がここまで成長してきたのかと喜びを覚えました。一方、これが第一歩でありこれからが正念場です。全力で自己研鑽し大飛躍することを親として願っております。 息子馨は、昭和五三年四月二三日前北家の長男として誕生。八千代市立高津小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾志木高校、慶應義塾大学文学部、慶應義塾大学大学院と学び、現在は母校慶應義塾中等部にて教諭をしております。一歳を過ぎた頃から何故かボールペンを手に絵を描くことが好きな子供でボールペンを「バンビ、バンビ」といつも手にして遊んでいたこと、知人がホルプ出版社に勤務していたことから、親ばかを発揮して絵本や本を買い込み与えたことなど思い出されます。  文学部へ進学すると聞いた時は親として随分悩み、私がたまたま志木高校の鉄野善資校長先生の主催する会に参加しておりましたので、色々とご相談しました。「経済、医学、法学どれも大切な役割を持っている。しかし、同様に文学も大きな意味を持っている。馨君の進路選択は間違いではない。文学部へ進ませてやって下さい。」と助言を頂き、文学部進学を渋々了解したことも思い出します。今考えると、この頃既に俳句をライフワークにと考えがあったように思います。  孫の藤次郎の誕生を機に私も八千代句会に顔を出すようになりました。句会は、二十代から八十代の句会参加者たちが詠んだ俳句を真剣に熱く批評し合い、その後は楽しい懇親会というものです。年配者の人生経験と若い人の思いが交流し、素晴らしい雰囲気です。  この度の馨の句集の刊行について、あるいは日頃の句会などの様々な活動には、嫁麻里子の大きな協力と理解があるということをここに記しておきたいと思います。  さて、彼は数多くの良き恩師、先輩、仲間、後輩に恵まれ今日に至っています。大学、大学院での慶應義塾大学の岩松研吉郎教授、慶應志木高校での本井英先生には特にご指導戴いており、彼が今日あるのはお二人の恩師のご指導によるものです。この財産をもっと大きく豊かにして行くことを願って止みません。  最後に、藤次郎の誕生を記念した句集の刊行を本当に嬉しく思います。   産声や青葉の殿の名を継ぎて  かおる  これからも一層精進することを期待します 二〇一一年二月七日 前北善勝 句集 ラフマニノフ Ⅰ ラフマニノフ 一九九八年 七月一九日 鹿野山神野寺夏行 夏蝶のかくんかくんと沈みたり 九月二五日 夜鷹の会 学食のカレー食ひたし休暇明け 一九九九年 一月一四日 夜鷹の会 丸餅のずんと座りて雑煮椀 四月二三日 惜春夜句会 新駅へ徒歩十五分豆の花 四月二三日 同前 京劇の眼に似たり豆の花 五月九日 慶大俳句吟行会 志木高校 蚊柱も昔のままの母校かな 六月三〇日 三田 東京の喪に服したる如き梅雨 八月三日 慶大俳句合宿、韓国より帰国 韓国に瓜の料理の多かりき 八月二六日 先駆けの雨夕立に呑まれけり 九月二日 (九月八日 慶大俳句三田句会) 滑空を覚えて秋の蝶となる 一〇月七日 (一〇月一三日 慶大俳句三田句会) 曼珠沙華精根尽きてゐたりけり 一〇月七日 同前 満腹や皿に残れる唐辛子 一一月一七日 三田(一二月八日 慶大俳句三田句会) 寒灯下愚痴めいてきし講義かな 一一月二一日 山茶花の咲き振りの垢抜けぬこと 一一月二七日 (一二月八日 慶大俳句三田句会) 鳰手品の如く現れし 一二月一八日 三田 緞帳の如くに銀杏散りにけり 一二月二一日 凍星やショスタコーヴィチ聴いてきし 二〇〇〇年 一月一日 茨城・御前山(一月一一日 夜鷹の会) 初明り膨らんできて初日かな 一月三一日 (二月一〇日 慶大俳句 逗子) 怒髪天を衝くが如くや大枯木 二月一七日 (二月二二日 夜鷹の会) 落椿ひつくりかへり土を舐め 二月二一日 (三月二日 慶大俳句三田句会) 保母さんの独りのつぽや青き踏む 二月二五日 (三月九日 慶大俳句三田句会) 世の塵を被つてゐたる椿かな 二月二九日 (三月九日 慶大俳句三田句会) まつさらに広がつてをり春の海 三月一日 (三月一三日 夜鷹の会) 水草生ふ今にも泳ぎ出しさうに 三月四日 (三月一六日 慶大俳句三田句会) 春の灯の灯りて闇の生まれけり 三月一八日 慶大俳句合宿 熊野 うららかにしの字を描き那智の滝 三月二一日 東吉野 子供等の吉野ことばのあたたかく 三月二七日 メデューサのかうべにも似て雪柳 四月六日 こればかりの灯では足らざる花盛り 四月九日 増上寺(四月一七日 夜鷹の会) 憑き物の落ちし如くや風車 五月五日 慶大俳句吟行会 武蔵野 大将の墓どかとあり夏木蔭 五月八日 三田(五月一五日 夜鷹の会) 渡辺の綱の綱坂山法師 七月二五日 (七月三一日 夜鷹の会) 坂下の突き当たりなる凌霄花 八月七日 獅子唐の辛きに当たり今朝の秋 八月一五日 慶大俳句合宿 志賀高原・石の湯ロッジ 秋蝶の翅のステンドグラスかな 八月一七日 志賀高原・石の湯ロッジ(九月四日 慶大俳句三田句会) ハンモックに跨つて空見てをりぬ 八月三一日 物語のやうに湧きたり夕立雲 九月九日 (九月一八日 夜鷹の会) ニュータウン中央駅の秋桜 一〇月九日 戸隠 かはるがはるキッチンに立ち長き夜を 一〇月九日 (一〇月一六日 慶大俳句三田句会) エルガーの威風堂々秋深む 一一月八日 大蚯蚓腹引き摺つて歩みけり 一一月八日 (一一月二〇日 慶大俳句三田句会) 恐竜の背中のやうな枯野かな 一一月二五日 二三、二四日、伊豆に行く(慶大俳句三田祭句会) 湯の町をいつしかはづれ冬菜畑 一二月一四日 (一二月二五日 夜鷹の会) ラッピングされたるポインセチアかな 一二月二一日 (一二月二五日 夜鷹の会) 夜の風に瞬いてゐる聖樹かな 一二月三〇日 卒論と云ふつつかひや去年今年 二〇〇一年 一月一日 沼津・千本松原(一月一五日 慶大俳句三田句会) 少林寺拳法の子ら初日待つ 一月六日 慶大俳句初句会 心臓の如き瘤あり大枯木 一月二三日 松山 水仙や巣箱のやうな投句箱 二月四日 大学卒業を記念してヨーロッパに行く パリ 地下鉄のMといふ冬灯かな 二月一三日 同前 モン・サン・ミッシェル 尖塔の金の天使や春の雲 二月一三日 同前 島一つ修道院や木の芽吹く 二月二二日 帰国 飛行機の小さな窓に山笑ふ 三月一〇日 横浜惜春 ふるさと村 沈丁の一番星のありにけり 三月一九日 慶大俳句合宿 伊良湖 根の股のぎりぎりまでも耕せる 三月二〇日 伊良湖 一艘に背中合はせに若布を刈れる 三月二三日 大学を卒業 師の像に睨め付けられて卒業す 四月三日 (四月一一日 慶大俳句三田句会) 吹き上げて風雲急よ紫木蓮 四月三〇日 (五月二日 席題句会) 惜春の心ラフマニノフの歌 五月一〇日 (五月三〇日 慶大俳句日吉句会) 母のやうな黄色い薔薇の大輪よ 五月一二日 (五月二三日 慶大俳句三田句会) JRとつつじで描いてありにけり 五月二九日 (五月三〇日 慶大俳句日吉句会) 表まで聞こゆるピアノ月見草 六月三日 下仁田(六月一二日 夜鷹の会) 尾を振りて蛙の顔をしてゐたる 六月一〇日 慶大俳句吟行会 新宿御苑 トランペッターといふ陽気な赤い薔薇 七月一日 房総のむら(七月四日 慶大俳句三田句会) 茂りより舞ひ上がりたり蝶の恋 七月一四日 京都・祇園祭 盛塩の開店準備夏の宵 七月一六日 同前 両岸に遊びの町や夏柳 七月一七日 同前 山鉾の戦の如く来りけり 七月一七日 同前 長刀の鉾そびやかし路地を来る 七月一七日 同前 鉾の稚児眩しくをりて動かざる 七月三〇日 慶大俳句海句会 本井英先生宅 夏潮に間口を広く海の家 七月三〇日 同前 遊泳の区域に飼はれをる如く 八月六日 小見川花火大会(八月七日 慶大俳句 逗子) 電柱の海抜標示浜おもと 八月二四日 佐久(慶大俳句合宿 志賀高原・石の湯ロッジ) 登り来し本丸跡の千草かな 八月二七日 草津白根火山(九月一〇日 夜鷹の会) 路線バス霧の峠に一服す 八月三一日 (九月一〇日 夜鷹の会) 金色のコスモス曇りがちの日も 九月一二日 川村ゼミ合宿 富士(九月二九日 ホトトギス子規忌句会) 富士沈みそめぬかはほり舞ひそめぬ 九月一四日 日本フィル定期演奏会(九月二六日 慶大俳句日吉句会) 楽団を待ちをる椅子や秋灯下 九月二一日 (九月二五日 惜春夜句会) 露草のミッキーマウスミニーマウス 九月二九日 (一〇月一八日 夜鷹の会) 蟿螽(ハタハタ)の産卵蟻に取り巻かれ 一〇月一日 (一〇月一〇日 慶大俳句三田句会) 紋章の如き小萩の一花かな 一〇月一八日 夜鷹の会 豊年の大河の曲がり美しや 一〇月二四日 慶大俳句三田句会 冬空にぼぼぼと太き飛行雲 一一月二五日 本埜村(一一月二七日 惜春夜句会) 白鳥の翼の内の真白なる 一一月三〇日 高千穂・椎葉 ぽくぽくと竹の筒より温め酒 一一月三〇日 同前 山眠る全き月を上らせて 一一月三〇日 同前 手力雄の歯までも赤し里神楽 一二月一日 同前 酒休み入るる笛方里神楽 一二月一〇日 三田(一二月一一日 慶大俳句日吉句会) マフラーや東京にカフェ増えてきし 一二月一八日 浅草・羽子板市 羽子板を乗り出して見得きれるかな 一二月二二日 (一二月二五日 惜春夜句会) 残りたるいつもの顔や年忘 二〇〇二年 一月六日 八景島(一月九日 慶大俳句三田句会) ペリカンのたるめる喉や松の内 一月一四日 新横浜(一月一六日 慶大俳句三田句会) 話すだけ歩く川べり日脚伸ぶ 一月一六日 サーモグラフィーの如くに葉牡丹は 一月二二日 惜春夜句会 卒業の日へと三寒四温かな 一月二七日 安房白浜 プリズムを発して春日沈みけり 二月一日 待春やサクラと札の掛けてある 二月三日 筑波 牡丹鍋縁語の猪口を傾けて 二月四日 葛西臨海公園 大胆に伐られ右肩下がりの梅 二月六日 シンガポール 真夜中の入国のブーゲンビレア 二月七日 同前 一画のイスラム街の茂るかな 二月八日 同前 舳先では愛を語らひ船遊 二月九日 同前 金箔を額に貼れる日焼かな 二月二八日 逗子 鵯のひそむ緊張梅の庭 三月二〇日 敦賀・気比神宮(慶大俳句合宿 天橋立) 賽銭の一円五円水草生ふ 三月二二日 慶大俳句合宿 天橋立 松原の朝の冷気に囀れる 三月二九日 二六~二八日、伊豆大島に行く 筒咲きの紅の静かな椿かな 四月一一日 前日、大足恭平君と高遠に行く 吾は文士汝は史家よ花下にあり 四月二三日 惜春夜句会 春灯やパンの金塊並べある 四月三〇日 夜鷹の会 結婚の話の出でて春の月 五月二日 大和町・七ツ森 大いなるおこはおむすび余花の村 七月七日 東京ドイツ村 アランフェス協奏曲やハンモック 七月一五日 牛窓 オリーブの実の青きかな日の盛り 七月二三日 惜春夜句会 帰路も早関東平野遠花火 八月二日 踏みしめて踏み割りにけりはたたがみ 八月九日 三陸海岸 夏蝶の追ひすがりくる車窓かな 八月一一日 同前 松原に夏の水平線高く 八月一七日 慶大俳句合宿 志賀高原・石の湯ロッジ 老鶯の滴る如く鳴きにけり 八月一八日 同前 松虫草夕食前に探しみる 八月二一日 志賀高原・石の湯ロッジ 残りをる客の親しく避暑の宿 九月一八日 松島 松島の眺望に浮き赤とんぼ 九月二二日 (九月二四日 惜春夜句会) 遠くゐる人の話に月の宴 一〇月一五日 一三、一四日、湯ノ小屋温泉に行く 廃校のメタセコイヤや秋の暮 一一月一一日 読売日響定期演奏会 ワーグナーフェスティバルあり神無月 一一月一一日 冬耕に揺るぎなき日のありにけり 一一月一八日 浜松(一一月二三日 慶大俳句三田祭句会) 海道の小春日和やこだま号 一一月二六日 惜春夜句会 まづ城に登りて旅の小春かな 一二月四日 慶大俳句三田句会 白鳥は西瓜の種のやうな眼を 一二月一四日 慶大俳句忘年会 サーフィンの帰りを迎へ冬帽子 一二月二八日 遠野 雪沓で来りて昔語りして Ⅱ 弾いて歌うて 二〇〇三年 一月三一日 夜鷹の会 式までの教会通ひ春隣 三月一二日 四日、入籍 雛の日のあくる朝に結婚す 三月二〇日 浜松学芸高校に就職 午後からの初出勤のあたたかし 四月七日 一クラス三列になり入学す 四月九日 鳥たちのくすぐり散らす桜かな 四月二八日 大井川 白鷺の休めの姿勢水温む 五月四日 浜松祭 凧落としてへたりこみたり笑ひたり 五月四日 同前 お祭のらつぱ輪唱して止まぬ 六月一四日 十薬のしづかに待てる文化祭 七月一二日 伊豆・大瀬崎 肌脱やウェットスーツ袖垂らし 七月一五日 遠州大念仏 踊り手の炭坑節に増えたりな 七月二八日 二七日、結婚披露宴 ウエディングパーティーを載せ遊び船 八月二日 新婚旅行 石垣島 島洗ふ大雨も見え雲の峰 八月三日 同前 西表島 スコールに呑み込まれたる船遊 八月一〇日 全島のライトダウンに星祭 八月一九日 惜春稽古会 志賀高原・石の湯ロッジ 霧帯びて梅鉢草の咲きにけり 一〇月五日 伊良湖 口紅の落ちてをりけり秋の浜 一〇月一二日 天竜浜名湖鉄道 同じ色同士で群れてコスモスは 一〇月一二日 同前 掛稲のひと雨浴びしところなる 一〇月一六日 鶏頭の珊瑚のやうに紅に 一〇月一九日 大船フラワーセンター 影もろとも舞ひ込んで来し秋の蝶 一〇月一九日 同前 シャッターを切るメロディーや秋桜 一一月二三日 天龍村・あしかが 炭頭とろけてきたる火力かな 一一月二三日 同前 炉の縁に膳を溢れし皿小鉢 一一月二六日 冬の蠅うるさくなりて打ちにけり 一二月一四日 校門の銀杏のクリスマスツリー 一二月一四日 教壇に上りてはづすマスクかな 一二月三一日 湖東三山 三猿の如くに縁に冬の雨 二〇〇四年 一月二五日 丸子宿 雪の富士雲竜型にありにけり 二月六日 文芸部俳句教室 下萌に始まる野外講座かな 三月二日 卒業の朝の職員会議かな 三月二日 卒業式終へてほどけし笑顔かな 三月一二日 朧夜のやつて来るべく暮れにけり 三月二〇日 慶大俳句合宿 浜名湖 一堂に百万遍や彼岸寺 三月二〇日 同前 蕊先をきゆつとすぼめし椿かな 四月一日 文芸部俳句教室 フェレットが腕よりこぼれたんぽぽ黄 四月一八日 湘南惜春 瑞泉寺 店先の絵付仕事に蝶の来る 四月二〇日 文芸部俳句教室 遠足の職員室に留守居かな 七月二四日 広島 揚花火垂れて夜空を塗りこむる 八月一日 文芸部 高等学校総合文化祭 徳島 うかうかとぷかぷかと増水の軽鴨 八月一三日 あらうみの旅 佐渡 ふはふはと賽の河原へ秋の蝶 八月一九日 天龍村・あしかが 濁流は凱歌をあげて日の盛り 八月二九日 惜春稽古会 小諸 女王は叢を遠ざけ鶏頭花 一〇月七日 秋灯下時を刻める金の針 一〇月九日 大いなるジャスコの出来し秋桜 一〇月一三日 一〇日、郡上八幡に行く ちよと簗へエプロン掛けてたも提げて 一〇月一三日 同前 落鮎の八頭身の焼き上がる 一二月七日 文芸部俳句教室 登校やマフラーの白なびかせて 一二月三〇日 伊香保 湯の客も交じりスケートリンクかな 二〇〇五年 一月八日 二~五日、上海に行く あたたかや小舟で渡る観音寺 一月二三日 近鉄養老線 くしやくしやに枯れたる中の冬菜かな 一月二七日 むと破れむむむと裂けて梅蕾 二月一九日 痛恨事ありて 春雨に弾いて歌うて夫婦なる 二月二八日 寒牡丹螺鈿の花弁寄せにける 二月二八日 風花に蛍の如く流るあり 三月六日 惜春花摘み 館山 サーファーを甘嚙みしては春の波 五月三日 白馬 渓流に一丈高く耕せる 五月三日 同前 白馬へと木曾の植田を駆け抜けて 五月四日 同前 撫づるより優しき流れ水芭蕉 五月二五日 ちよこまかと母を守りて軽鳧の子は 七月一八日 慶大俳句海句会 本井英先生宅 潮浴のふと仰ぎたる飛行船 七月一八日 同前 きらきらと夏潮の垂れやまぬ岩 八月八日 ゆのたび 日田 三日月が落ちて仕舞ひや舟遊 八月二二日 ゆのたび 由布院 とんばうの座標をかへて休みけり 八月二五日 町の名の山のそびゆる避暑地かな 八月二九日 惜春稽古会 城ヶ島 とぷとぷと岩間を溢れ秋の潮 八月三〇日 同前 離るれば妻を許せて星月夜 一一月一三日 寸又峡 飛龍橋てふに眺むる峰紅葉 一二月二三日 天龍村・あしかが 里神楽四十一面伝はれる 一二月二四日 同前 この里の緑の写真冬座敷 二〇〇六年 一月一八日 大学受験に臨む生徒へ 真帆なれば冬浪いたく荒るるとも 一月三一日 鳴沢村 ラグビーのゴールポストに雪の富士 二月二六日 日間賀島 どんぶりに盛られし若布島の朝 三月一七日 退職 菜の花を離るとも黄の褪せめやは 六月八日 よひらの会 滝壺に碧くやすらひ流れ出づ 七月七日 慶大俳句三田句会 七夕を部活帰りの群くぐる 七月一二日 本井ゼミ 空蟬の裂創を背に負へるかな 八月一七日 (八月二〇日 日盛会) 店番の暇に温習(サラ)へる踊りかな 八月一八日 (八月一九日 日盛会) 底紅の底ひの紅を掻かまほし 八月二二日 八ヶ岳(八月二五日 日盛会) 山小屋の地階の窓に稲光 八月二五日 日盛会 遊学に来てをる同士芋煮会 九月二六日 夜鷹の会 博覧会跡の草原赤とんぼ 一〇月一七日 惜春夜句会 男鹿支社のパートさんより今年米 一二月一六日 浅草・ガサ市 十把一絡げに注連を売れるかな 一二月三〇日 真鶴吟行会 冬凪や航跡いつまでも残り 一二月三〇日 同前 蜜柑山の裾を湘南電車かな Ⅲ 歓喜の歌 二〇〇七年 二月二〇日 夜句会 創刊の議あり建国記念の日 二月二〇日 SLや下萌ゆる土手踏みのぼり 三月九日 卒業旅行 太宰府天満宮 天神に詣で卒業旅行かな 三月一一日 同前 阿蘇 火の山の裾のあら野を焼けるかな 三月二〇日 夜句会 アスパラを食指に束ねつつ刈れる 四月九日 (四月一七日 夜句会) 今日までの引越休み花吹雪 四月二七日 銀漢に潜む翡翠のありぬべし 五月六日 八千代吟行会 我が町の国見が丘や植田原 五月二〇日 湘南吟行会 大船フラワーセンター 熱情を蔵して暗し紅薔薇 六月六日 (六月一九日 夜句会) 船形に宮居の森の茂るかな 六月六日 同前 夕涼の雲より淡くドビュッシー 七月一六日 林間学校 奥日光 山消えて星現るる露台かな 七月一七日 同前 湿原の貴婦人といふ夏木かな 八月一五日 関宿 終戦忌のラジオの流す甲子園 八月一八日 慶大俳句合宿 満州 牛洗ふ淵に芥の漂へる 八月一九日 同前 国境を目指す車窓に大西日 八月一九日 同前 船遊び風に体を乗り出して 八月二二日 (九月一日 八千代句会) 秋天の下に掘り下げ露天鉱 八月二二日 同前 海の隔つ妻と私星今宵 九月一五日 夏潮花野吟行会 志賀高原・石の湯ロッジ クリスタルガラスの如く滝の水 九月一六日 同前 しぶきては澄みまさりゆく沢の水 九月二三日 八千代句会 糠雨に稲の香りの立ちのぼる 九月二三日 同前 秋耕やタオル海賊巻きにして 九月二五日 夏潮池袋句会 而して星の満ちたる初月夜 一〇月七日 柳川 蜻蛉や棹さし巡る水の町 一一月三日 上山口吟行会 旋回のうちに高まり鷹柱 一二月八日 八千代句会 一川の墨を湛へて蘆枯るる 一二月二六日 目黒・自然教育園 蘆の葉の切つ先巻いて枯れにけり 一二月二九日 八千代稽古会 あはあはとコンビナートや群千鳥 一二月二九日 同前 成田山・新勝寺 門前にトラック繁く年の暮 一二月二九日 同前 印旛沼 沼の主へ召さるるがごと鳰 一二月三〇日 同前 臘梅の蕾み即ち光りけり 一二月三〇日 同前 日の出でて雨後の枯木を輝かす 二〇〇八年 一月一〇日 三~六日、厦門に行く(八千代句会) 客家とて朱欒の山に暮らすかな 一月一〇日 同前 ウエディングドレスの現れし春の浜 一月一九日 八千代句会 鳥居まで闇の寄せゐる焚火かな 一月一九日 同前 膝に肘つきて守れる焚火かな 一月二九日 松蟬や貸し自転車を押し歩き 一月三〇日 八千代句会 ぐづぐづと咲きては零れ枇杷の花 二月一二日 一〇日、袋田の滝に行く(夏潮池袋句会) 解氷の剥げ転げたる瀑布かな 二月一二日 同前 滝壺を雪解の水の濁すかな 三月九日 鎌倉 枝伝ひ枝伝ひして梅が散る 三月一五日 八千代句会 マンションに続々入居花辛夷 三月二六日 夏潮東京吟行会 目黒・自然教育園 藪椿歓喜の歌を歌ふかに 三月二九日 八千代句会 羽広げきりて落ちくる雲雀かな 四月五日 夏潮名古屋吟行会 蒲郡 白き脚二つに折りて汐干狩 四月一六日 五日、車窓に浜松を見て(夏潮池袋句会) 春の夜や娶りてしばし住みし町 五月五日 富士宮吟行会 富士の溶岩(ラバ)転がつてゐる茶園かな 五月五日 同前 牡丹の散りおほせにしひらの数 五月六日 同前 滝飛沫を頬に受けつつ仰ぐかな 五月三一日 露の玉ぎよろりと揺らぎしづまりぬ 六月一日 廣済堂レディスゴルフカップ観戦(八千代句会) パター渡し受けたる日傘さしにけり 七月六日 八千代句会 きゆりきゆりとぴちよちよちよちよちよと行々子 八月四日 山岳部合宿 常念岳・蝶ヶ岳(八月六日 八千代句会) トマト食ぶ乗越といふ風の道 八月四日 同前 テントより這ひ出して待つ日の出かな 八月一四日 山陰青春一八きっぷの旅 温泉津駅 舳(ミヨシ)なすホームの果てや風涼し 八月一五日 同前 大田市仁摩町 母方に馴染みの深く墓参 八月三一日 夏潮稽古会 志賀高原・石の湯ロッジ 大岩魚不覚の口を開きをり 八月三一日 同前 大地よりじやがたらいもを掘り返す 八月三一日 同前 百官の御衣(ミゾ)調へし御遷宮 九月四日 新聞研究会合宿 大島(九月一四日 八千代句会) 秋潮にひときは白し練習船 九月五日 同前 島蘇鉄鎮西八郎為朝碑 九月一四日 八千代句会 奈落より霧吹き上ぐる火口かな 九月一八日 深夜句会 雨の日の空の白さに萩咲ける 一〇月一三日 鞆の浦 爽やかや対潮楼の窓に倚り 一〇月二五日 五日、泉田川鮭簗場に行く(八千代句会) 鮞(ハララゴ)をぬる湯の中にほぐしゆく 一一月三日 八千代句会 薔薇の香の狭霧まじりに漂へる 一一月五日 夏潮池袋句会 行秋の伊予に大山祇神社 一二月三日 大原沙也さんご逝去 いと小さき銀杏一葉散りにけり 一二月六日 八千代句会 闇よりの客請じ入れ神楽宿 一二月六日 同前 夜神楽や神鬼一切躍り出で 二〇〇九年 一月三日 マレー半島半縦断 三〇日、シンガポール 日盛りや女を喰らふ神の像 一月三日 マレー半島半縦断 三一日、マラッカ アザーンの聞こゆる臥所水中り 一月五日 マレー半島半縦断 三〇日、シンガポール動物園 くちなはを首より棒に巻き移す 一月一〇日 皇居(一月一七日 八千代句会) 冬桜埃の如く咲けるかな 二月一日 八千代句会 きりきりと暴れ昇りていかのぼり 二月二三日 一邑の廃れて平家蛍かな 三月八日 八千代句会 藪椿日を乞ふふうもなかりけり 三月三一日 隆々と膨れてとどの如き海女 四月二日 琴平 神々の腰掛けのごと笑ふ山 四月三日 同前 讃岐富士頂まるく笑ふかな 四月三日 瀬戸大橋線 演習や春野にヘリを浮かばせて 四月四日 吉備吟行会 吉備津神社 内陣の灯火遠く春の雨 四月五日 総社・宝福寺 鶯の喉まるうして啼き出だす 四月六日 岡山・後楽園 たなごころ表に開き花の下 五月二日 風雲児此より出でし芭蕉かな 五月六日 前日、西山荘に行く(夏潮池袋句会) 胎動の確と男児や夏来る 五月六日 夏潮池袋句会 3の1原田大地と瓜の苗 五月一六日 八千代句会 薔薇嗅ぐや鼻先つんと尖らせて 六月一八日 八千代句会 吾と妻の間に生るる蝶々かな 六月二八日 八千代句会 白々と雨の噴水ありにけり 七月一日 夏潮池袋句会 山の雨去りて残照月見草 七月一七日 一一~一四日、林間学校、富士に行く(八千代句会) 石楠花や雲の上なる御中道 七月一九日 夏潮湘南吟行会 妙本寺 日蓮の眉の太々凌霽花 七月一九日 同前 砂入りの吸殻入れや浜おもと 八月二三日 前日、八千代ふるさと親子祭花火大会(ミクシィ句会) 恋人になる気も少し揚花火 八月二八日 夏潮稽古会 志賀高原・石の湯ロッジ 穂芒に風速十五センチほど 八月二九日 同前 皺ませて秋水を吸ふ瀬口かな 八月三〇日 同前 霧の果てより山彦の声返る 九月一四日 三田吟行会 貝塚の断面展示昼の虫 九月二四日 ミクシィ句会 鶏頭の織り上がりたる深紅かな 九月二四日 同前 みどり児の瞳の潤み鰯雲 一〇月三日 姨捨 冠着の次が姨捨月今宵 一〇月四日 石神主水さんご結婚 澄む水の名の梓弓末長く 一〇月一八日 夏潮湘南吟行会 ふるさと村 柿の秋富士見ゆる日もありとなむ 一〇月二二日 裏磐梯(一〇月二四日 八千代句会) 引力の緩める空を散紅葉 一〇月三〇日 若布刈竿むんずとひねる揚ぐるかな 一一月二一日 八千代句会 合戦の果てにし如く枯蓮 一一月二七日 殿堂の散らばる広野青き踏む 一一月二九日 常陸大宮・マナゴルフクラブ(ミクシィ句会) カントリークラブの空を鷹渡る 一二月一二日 夏潮土曜吟行会 大川端 舟出して橋脚修理冬日和 一二月一六日 ミクシィ句会 男の子にや妻(メ)にさづかりし冬日子は 一二月二三日 夏潮東京吟行会 飯桐の実るあたりはもはや空 一二月二八日 霜月四国の旅 日和佐 遍路杖さして渚に憩ふかな 一二月三〇日 同前 宇和島 冬帝や石もて築く段畑 二〇一〇年 一月七日 三田吟行会 八千代 天敵のなければ孤独寒鴉 二月一九日 読売日響定期演奏会 春めくや夜の歌とは愛の歌 二月二〇日 富士宮吟行会 かへり見れば空に富士あり犬ふぐり 二月二一日 同前 朝富士に襞刻しゆく春日かな 二月二一日 同前 玉椿瀬音の中に仰ぐかな 三月六日 八千代句会 雛にも牛車かはゆし輿小さし 三月一〇日 卒業旅行 人吉盆地 菜の花の雪のさ中の黄なりけり 三月一一日 同前 熊本から島原へ(三月一三日 ミクシィ句会) 海苔篊を抜けて船旅らしくなる 三月一二日 同前 長崎 首太き平和の像や春の雲 三月一四日 同前 耶馬溪 諸葛菜山国川に字(アザナ)青 三月一七日 夏潮池袋句会 春郊を行けば錦江湾ひらけ 三月二三日 海の中道 気動車は桜混じりの松原を 三月二三日 室見川 口中にもはや躍らぬ白魚かな 四月二日 夏潮稽古会 師崎 大風ののしかかる島花大根 四月二日 同前 一刃の黒曜石の燕かな 四月四日 同前 羽衣の如くに尾鰭桜鯛 四月五日 名古屋城(四月七日 夏潮池袋句会) 城外のNHKも花盛り 四月一八日 杉原祐之君、池田絵里さんご結婚、ご懐妊の報せありて 蘖えり相生といふ白樺に 五月一三日 京成バラ園(深夜句会) 薔薇の名を旅するがごと巡るかな 五月二四日 長男藤次郎誕生 産声や青葉の殿の名を継ぎて 五月二五日 昼寝より覚めたるがごと生まれゐし あとがき  平成二十二年五月二十四日、長男が誕生した。伊達政宗公の字(あざな)をいただいて、藤次郎と命名した。時代の流れに呑み込まれながらも自らの勢力を確立した公のように、たとえ困難な状況にあっても強く、楽天的に生きてもらいたいという願いを込めた。実は、妻の懐妊前から我が家に男子誕生の際にはこの名前をと考えていたので、胎動がわかるようになった頃には、もう「とうちゃん」と呼びかけていた。いつの間にか、 産声や青葉の殿の名を継ぎて という俳句も出来てしまっていた。  当日、出産に立ち会わなかった私は、分娩室から少し離れたロビーで携帯をいじりながら、そわそわとその瞬間を待っていた。ツイッターでつぶやいていると、友人たちからの励ましのメッセージにまじって、「今日は伊達巻の日」というツイートが表示された。五月二十四日は政宗公のご命日にあたり、それにちなんで伊達巻の日と制定されたそうだ。偶然とはいえ、この日に藤次郎と命名される我が子を授かったことが嬉しかった。そこへ通りかかった助産師さんが、十五分ほど前に元気な男の子が生まれたと知らせてくれた。準備が整って私が分娩室に戻れたのは、それからさらに十五分ほど経ってからで、産声どころか、藤次郎はもう欠伸をしながら妻に抱かれていた。  さて、我が家に一大慶事があって、これを記念した私の句集が出版できることになった。序を父に書いてもらい、各章の扉絵を妻に描いてもらうことにした。「ラフマニノフ」という題は、   惜春の心ラフマニノフの歌 からとった。ラフマニノフのメロディーに、過ぎ去ろうとする青春時代を重ねた感傷的な俳句で、自分では空前絶後の一句だと思っている。  全体は三章構成として、十数年分の俳句から三百五十句余りを収めた。  一章は学生時代で、本井英先生にご指導いただいた慶大俳句の吟行会、合宿や行方克巳先生が作って下さった夜鷹の会で「知音」の方々と作った俳句が中心だ。ほかに、仲間同士で部室や図書館に集まって開いていた三田句会、日吉句会の俳句も多い。石神主水さんが免許取りたての私に付き合って下さって、あちこちを吟行した。詠んだ俳句は全て本井先生に見ていただいていたので、あれこれ試しながら、それこそ星の数ほど詠んだ。  二章は浜松での新婚時代。私がサボらないように杉原祐之君がせっせと通ってきてくれて小さな吟行会を重ねた。また、勤めていた浜松学芸高校で文芸部を担当し、俳句教室と称して句会を行っていた。「惜春」の俳句会や稽古会に出てご選を受けるようにはしていたが、先生から離れて作句のペースも少し落ちてしまった。  三章は「夏潮」時代と言ったら良いか、八千代に戻ってからの作品。「夏潮」創刊以来、俳句会に出席することが増えた。近所に住む永田泰三さんとは、八千代句会を始めた。先生のご選を受ける一方で、最近は、選択授業で三田吟行会という講座を開いて生徒と句会をしたり、「夏潮」では課題句選者やタイドプール句会の講師を担当したりと、自分が選者を務める機会が増えてきている。昨年からは、「慶大俳句」の後輩との句会でも選者を務めるようになった。次の句集出版の際には、新境地が開かれていることを期待したい。  なお、本書では、できるだけ前書を付けて、その句を詠んだ日付、場所、投じた句会を示すようにした。これは、虚子の「五句集」に倣ったものだ。私は、一人で俳句を詠むことをあまりしない。本書に収めた俳句も、句会があったり、ともに吟行して下さる方がいたりして出来たものが大半だ。作句の現場で、すぐに他の方の俳句と自作を並べ、互選を受ける。「鉄は熱いうちに打て」と言うが、そのとおりのやり方で私の俳句は鍛えられた。槌の役をして下さった方々の力がなければ、この句集は完成しなかった。本当にありがたいことだ。一句一句に句会名を明記することで、感謝の言葉に代えさせていただいた。  さて、まだまだ句集完成まで道のりは遠いが、既に心が躍って仕方がない。いよいよ本の形になったらどんなに素晴らしいものになるか、想像もつかない。ついでだから馬鹿なことを書くが、自分では、リヒャルト・シュトラウスに「英雄の生涯」の一曲あるが如く、前北かおるに句集『ラフマニノフ』あり、というほどの気持ちでいる。本書を手にとって下さった皆さまが、少し美化しすぎた自画像を見る気持ちで、温かく読んで下さればありがたい。  最後になるが、日頃ご指導いただいている本井英先生、「夏潮」や八千代句会、「慶大俳句」の皆さんに感謝申し上げたい。そして、一家の健康、皆さん、そして森羅万象のご多幸を祈って一巻の終わりとする。 平成二十三年正月吉日 前北かおる